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当ブログは9月28日、「新しい快速電車の勢い」から名称を変えました。今後ともよろしくお願いします。
プロフィール

ラピ@印西星人

Author:ラピ@印西星人
出身地:千葉県鎌ヶ谷市
所在地:印旛沼のあるところ
誕生日:西城秀樹さん、(故)藤田まことさん、上沼恵美子さん、萬田久子さん、水嶋ヒロさんと同じ。
誕生日の花:いちご(花言葉:誘惑 甘い香り)
(スジャータによる)
血液型:A
性別:風水では「火」「陽」の気を持つと言われている性
誕生年月:ピンク・レディーがデビューする4箇月程前。
星座:おひつじ座
苦手なもの:行列、混雑・渋滞、夜更かし、長い連勤
PR:当ブログは年中無休、新しい快速電車の勢いで毎日更新!



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関宿城博物館―チーバくんの長い鼻の先端―

昨日私は、企画展「猿島茶と水運」を観るため、関宿城博物館に行って来ました。

関宿城博物館は、野田市の旧東葛飾郡関宿町域にあります。

茨城県猿島郡境町、五霞(ごか)町、埼玉県幸手市に接し、利根川と江戸川に挟まれた川の町で、古くから水運で栄え、水害に悩むことも多々ありました。

猿島茶は茨城県の南西部で生産されている特産品です。
当初は生産量が少なく、製茶法が悪かったため、品質も悪く需要が少なかったとのことです。

しかし製茶法などを改良して品質の向上をはかり、宇治茶に近い味に作り上げられました。

その結果、安政6年には猿島茶が日本茶として初めて海外へ輸出されるまでに至りました。

関宿地域は冒頭でめ紹介した通り、利根川と江戸川に挟まれています。猿島茶に限らず物資の流通は、水運を利用されました。

猿島茶は当初品質が悪く、江戸では不人気だったため、利根川上流の上州や信州に販路を求めていました。
猿島茶の品質が向上するとこんどは、やはり水運で江戸へも販路が拡大し、米国への売り込みに成功して海外への販路も開かれました。

さらに茶の栽培に欠かせない、いわしなど魚の肥料の流通にも水運が寄与しました。港町の銚子から利根川で、関宿へ運ばれました。

このようにして明治13年まで発展をみましたが、以降は粗製乱造をする業者が出たり、静岡茶の台頭により猿島茶の勢いは衰えていきました。

しかし現在でも猿島茶の栽培は続き、「さしま茶」ブランド化を図るためハイテク技術を用いた生産や品質、情報管理が行われています。

といった解説が成されていました。

以上が企画展示ですが、常設展示としては川に挟まれた町としての治水の歴史や、関宿城の歴史に関する展示があります。
 


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関宿城博物館の企画展―猿島茶と水運―
先日、チバテレのNEWSチバで紹介がありました、千葉県立関宿城博物館の企画展示の紹介をします。

先づは県立関宿城博物館の場所から。

県立関宿城博物館は、野田市の旧東葛飾郡関宿町域に位置する博物館で、わかりやすくいうとチーバくんの鼻のエリアです。

この地域は利根川の流域となっています。茨城県猿島(さしま)郡境町、五霞(ごか)町、埼玉県幸手市、北葛飾郡杉戸町などに隣接し、かつては利根川水運で栄えました。

ということでこの博物館は、「河川とそれにかかわる産業」をテーマとした展示を主とした博物館です。

今回の企画展示も水運にまつわる展示で、「猿島茶と水運―江戸後期から明治期を中心に―」というものです。関宿の隣の猿島地区の特産品である猿島茶が、水運を通して流通経路が拡大したという歴史の紹介をするというものだそうです。

県立関宿城博物館へのアクセス紹介をします。

最もわかりやすいのは、東武野田線川間駅から、朝日バス関宿城博物館行きに終点まで乗車、32分です。

また、東武伊勢崎線日光線の杉戸駅、失礼しました東 武 動 物 公 園からも朝日バスが出ています。

ここからは関宿城博物館行きがなく、境車庫(茨城県)行きに乗車して「新町」で下車、朝日健民(註:朝日自動車健康ハイキング)で15分です。

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

東京の交通100年博―これまでの100年と、これからの100年―
7月から両国にある江戸東京博物館では、東京都交通局の創立100周年を記念して、「東京の交通100年博」が開催されています。

私はこの情報を、北総線を走る都営5300の車内で知りました。

都営交通はいまからちょうど100年前の1911年(明治44年)、路面電車事業と電気供給事業を買収し、東京市電気局として発足しました。

以来100年の長きに亘り、都民の足として活躍を続け、今でも発展を続けています。

特に印象深かった点を3点お話しします。

1.都電の華やかなりし時代~現在

東京都(市)内の路面電車は明治の昔より発達していましたが、1955年(昭和30年)に都電は黄金時代を迎えました。たくさんの系統番号の板や路線図、行き先板などがずらりとならんでいました。

しかしモータリゼーション化が進行し、定時運行が困難を極めるようになりました。写真の中には都電がたくさんのクルマに阻まれて身動きが取れない状況の写真もありました。計画的に徐々に路線を廃止することとなってしまいました。

それでも併用軌道区間の少ない荒川線だけは残されることとなり、現在に到っています。私も何度か世話になりました。最近では、5月のアロマテラピー検定1級の試験(大正大学)に行く際に世話になりました。 新庚申塚駅で降りました。

試験の後、三ノ輪橋駅で撮りました。

荒川線1

それから、7500や7000が実は昔の車両の更新だったということをつい数ヶ月前に知りました。

ほかにも静態保存されている都電の車両の紹介があり、そのなかにトレインカフェ(八千代市)もちゃんとありました。

トレインカフェ3

2.昔の三田線は、赤帯だった!

三田線の帯は現在は青色ですが、昔の写真を見ると、車両は6000なのですが帯の色がなんと赤!

三田線の歴史といえば、現在は東急目黒線との相互直通をしていますが、その昔は
東武東 上 線との相互直通を行う計画があったようで、そのために6000の窓が東武電車のような窓になったということを知っています。

そして昔は、「志村」という駅までしか走っていなかったこと。6000が「志村」行きの幕を出していた写真を見たことがあります。しかし赤帯の写真は初めて見ました。

ちなみにその「志村」駅が現在の高島平駅のことだと知ったのも、この記事を書くに当たって調べてみてのことでした。実は志村坂上か志村三丁目かと勘違いしていました。

高島平駅~西高島平間の開業は1976年(昭和51年)5月6日で、そのポスターもありました。ちなみに、両駅間にある新高島平駅は、もっと後の開業かと思いましたが同日の開業のようです。

3.赤と黄色のバスが懐かしい!

都営バスは、現在は黄緑色に黄色の輪という色彩ですが、その昔は白地に青帯、黄色地に赤帯、白地に緑とベージュという色彩のバスがありました。

そのうち黄色と赤、緑とベージュのバスは、新宿駅から東京女子医大行きの宿74系統のバスに何度か乗ったことがあります。

この3つの色彩のうち黄色と赤は、都営地下鉄の帯の色をイメージしたものなのかと小学生の私は思っていたものですが、どうもそうではなく冷房車の証だったかなんだったか・・・のようです。しかしけばけばしいとのことで評判が悪く、けっこう早くになくなってしまったようです。

それから懐かしい思い出として、高田馬場からやはり東京女子医大方面のバス(東71系統)に乗った際、高田馬場駅を出て最初の停留所名が戸塚特別出張所(当時)で、当時特別出張所といえば鎌ヶ谷の三和銀行(船橋支店鎌ヶ谷特別出張所)から、銀行のことだと思っていた私は

「銀行の名前がバス停になるのか!?」

新しい快速電車の勢いで真剣に驚き、車窓から銀行の特別出張所を一生懸命探してしまったものです。

ちなみに、ここでいう特別出張所とは新宿区役所の出張所のことで、新宿区では出張所を特別出張所と呼んでいるようです。

さらにちなみにですが、銀行の名前がバス停の名前になる例は、千葉県にあります。「千葉銀行前」というバス停が、実籾駅付近(京成バス)と勝田台駅付近(東洋バス)にあります。

ということで私も、都営交通の歴史の何分の一かにかかわったことになります。

会期は9月10日(土曜)までです!お早めに!

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

空と大地の歴史館―対立と苦悩の歴史―
成田スカイアクセス開業記念日の昨日、私はアクセス特急と成田空港交通バスを利用して、先月チバテレのNEWSチバで紹介のあった、空と大地の歴史館に行ってきました。

空と大地の歴史館 

空と大地の歴史館2

この資料館は、成田空港建設前の地元の姿、東京国際空港(羽田空港)がパンク寸前で新しい空港の開港が必要とされてきた高度経済成長期の様子、建設する側と反対側の流血の歴史、開港、国や空港公団との膠着(こうちゃく)状態を打開しようとする動き、地域と空港との共生と共栄を目指すという歴史を紹介しています。

狭いながらもそのボリュームはとても重いものです。開館の意義が高いという好意的な声が多くあったようです。しかし、展示内容により一層の充実を求める声もあり、早速いろいろな反響が出ているようです。

数々の写真や文書、手紙等の資料はもちろん、緊急時の半鐘として叩かれたドラム缶に、明治大学などの学生運動を思わせるヘルメットなどの展示に、空港闘争のビデオなどもありました。

館内に入るや否や、歌が流れたり「帰れ!帰れ!」のシュプレヒコールが聞こえたりと、私がいたころの明治大学(平成1桁~2桁の頃)否応なく思い出させられました。

成田空港は1978年(昭和53年)5月20日に、新東京国際空港として開業しました。本来は同年の3月に開港予定でしたが、その4日前の3月26日に反対派ゲリラによって管制塔を占拠したため、5月に延期されました。

そして、同年5月5日に京成電鉄スカイライナー車両放火事件もあったと聞いています。

昭和53年といえば、少し前のチバテレのCLOCK15(クロックイチゴー)で、河ちゃんこと河村和奈さんが、成田空港の開業年は私が生まれた年で、(この放送の時点では)まだ誕生日じゃないからねッ!!!といったコメントがあったのを思い出します。


場所は千葉県山武郡芝山町にあり、成田空港第1、第2旅客ターミナルや芝山千代田駅から成田空港交通バス「南三里塚」行きか「航空科学博物館」行きに乗車し、「航空科学博物館」で下車して徒歩1~2分です。航空科学博物館の敷地内にありますが、少し離れたところにあります。

本数が栗源行きのバスくらい少ないため、事前に時刻表を確認しましょう。

成田空港交通1

航空科学博物館

空と大地の歴史館4

芝山町といえば、はにわ

空と大地の歴史館3

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

旧吉田家住宅―ここはドラマ「JIN―仁―」の舞台だった―
ルルルルールールールールールルールルー

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というわけでここ旧吉田家住宅TBSの人気ドラマIN―仁―の舞台として使われました。 

旧吉田家住宅は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて造られた、名主であった豪農・吉田家の面影を残す、柏市の北東部にある古民家です。 

旧吉田家住宅1 

旧吉田家住宅2 
 
ここは平成19年(2007年)10月に市の指定文化財となって、平成21年(2009年)11月に一般公開されるようになりました。

私はこの話を昨年のNEWSチバで知り、いつか行ってみたいと思っていましたが、6月4日に行ってきました。

で、IN―仁―の話に戻しますが、ポスター建屋内に
IN―仁―のポスターがあったので、IN―仁―とどんな関係があるのだろう?と思っていたのですが、そこの職員氏の話を聞いて知りました。

旧吉田家住宅5

その話を聞いたら、ここに南方先生や坂本竜馬が出て来そうな雰囲気を感じました。

舞台として使われたのは、長屋門と、そこを入ってすぐ右側にある新蔵、主屋の玄関、書院です。 この順に、以下に4枚の写真をupします。

旧吉田家住宅10 

旧吉田家住宅9 

旧吉田家住宅6 

旧吉田家住宅8

4年前には世田谷にある旧小坂家住宅に行きましたが、それよりもはるかに豪華な造りでした。
当時はデジカメを持っておらず、写真はありません。

参考記事:http://newrapid130.blog98.fc2.com/blog-entry-67.html

ここも旧小坂家住宅もそうですが、ここを民宿にしたら何組泊められるだろうというほど大きく、最も広い部屋では柔道なんかもできるんじゃないか?というほどでした。

上記の参考記事を読み返して、いただいたコメントに、女中部屋にベルがあるという話がありました。これはどこから呼ばれているかの音でわかるようになっていたそうです。

今回の旧吉田家住宅にも、女中部屋がありますが、ここの扉は防犯のために引くとガラガラと音が出るような仕組みになっています。

そういえば明治大学では女子トイレに防犯ベルがついていましたが、あれを見た瞬間私は新しい快速電車の勢いで文化的衝撃を受けたものです。

ここに女中が何人いたかわかりませんが、暗くて狭くてなんだか気の毒に感じました。

それ以外では土間は広く、仏間もきちんとあり、帳場もあり床の間ありと、立派な造りでした。

庭の緑に、入口の花もきれいでした。

旧吉田家住宅3 

旧吉田家住宅4 

旧吉田家住宅7

アクセス案内:いずれも駅から東武バスイーストを利用します。

JR常磐線東武野田線柏駅JR常磐線北柏駅から:
東急柏ビレジ行き、柏市立高校行き、柏たなか駅行きに乗車して「花野井神社」下車、約5分歩いたところ。
※但し柏市立高校行きの、16号線経由の便は「北柏駅入口」「花野井神社」は通りません。

つくばエクスプレス14 柏たなか駅から:
柏駅西口行き、北柏駅行きに乗車して「花野井神社」下車、約5分歩いたところ。

開館時間: 9:30~16:30

定休日:月曜日、年末年始

また、明日6月11日(土曜日)、12日(日曜日)はここで将棋の棋聖戦が行われるため、臨時閉園となりますのでご注意を。

テーマ:柏市周辺 - ジャンル:地域情報

昭和のモダン住宅―八千代のテラスハウス―
昨日、以前にチバテレビで知った八千代市郷土博物館のテラスハウス展に行きました。

八千代市郷土博物館2

テラスハウスというのは、一般的には二階または三階建ての、庭の付いた連続住宅(低層集合住宅)のことを指します。

イギリスが発祥地で、その後オランダ、ドイツなどでも建てられるようになりました。日本でいえばいわゆる「長屋」という感のある住宅です。

しかし欧州のテラスハウスと、江戸時代の長屋とで大きく異なるのは、木造の平屋建てで、井戸や便所などが共有であることなのだそうです。便所が共有といえば、なんだか昔の安アパートや学生寮を思い出します。

本題である八千代のテラスハウスは、昭和32年に八千代台駅の西側に八千代台団地、昭和43年に勝田台駅の南側に勝田台団地、それぞれテラスハウスが分譲されました。

そのうち八千代台団地は、日本で最も古い大規模住宅団地となりました。

参考記事1:http://newrapid130.blog98.fc2.com/blog-entry-1050.html

展示室にはテラスハウスと家族の写真、新聞記事にテラスハウスの模型、昭和30~40年代の流行やニュースなどの展示がありました。

そのうち私は、ピンポンパンに新しい快速電車の勢いで感動しました。これは私も観たことがあるからです。

テラスハウスは戸建の家が何棟も連なったような造りで、ここでの模型は1階に食堂・台所に部屋1室、2階には部屋2室とバルコニーがあるというかたちでした。このタイプのテラスハウスなら子供が生まれるあたりで住んでおけば、子供が2人くらいまでなら部屋が欲しいと言われても余裕で対応できていいな、と思いました。
 
現在の住宅(団地)でも子供が2人いるという家庭がけっこう多いのですが、部屋をどう分け与えるかでかなり悩まれたのではないかと感じます。

ちなみに、このタイプのバルコニーは、国立の家(母の実家)にもこのようなバルコニーがあります。でもテラスハウスではなく一軒家です。

京成電鉄の八千代台駅、勝田台駅の写真もありました。八千代台駅はなんだか風通しが良さそうな駅舎で、勝田台駅は今と比べてずいぶん質素な造りでおどろきました。勝田台駅の写真には電車の写真があり、クリーム色にファイアーオレンジの塗装でした。

八千代市は都心に近い場所ですが、当時は営団地下鉄東西線もまだ開通してなければ、総武線にしても錦糸町~東京間が開通していなかった頃でした。いわんや京葉線東葉高速など望むべくもありません。

当時は勝田台から船橋乗換えで秋葉原まで約50分、八千代台から上野まで約53分だったそうです。

では現在ではどうか―ちょっと調べてみましたが、経路は当時よりは増えているといっても、日中なら速いのですが、ラッシュ時については上記に示された所要時間並みのようです(上記の所要時間が日中なのかラッシュ時なのかわかりませんが・・・)。

上野方面については、ラッシュ時でも上記より速くなっています。

参考記事2:http://newrapid130.blog98.fc2.com/blog-entry-1399.html

現在では老朽化が進み、住人の高齢化が問題になっています。これは何も八千代台や勝田台に限った話ではなく、新しい団地でもいずれはこのような問題が起こるのは避けられません。住人の高齢化といえば、うちでも一部の世帯が高齢化しており、隣組(自治会・町内会)の役員をやるのがつらいという世帯もあります。

ということで、人生において住宅はどうあるべきかを、深く考えさせられました。私が考えることは、まだ結婚してませんが、引っ越しを繰り返して子供の交友関係や思い出にひびを入れたくない、これだけは誰が何と言おうと絶対に曲げません。私のなかでは、このことが頭の中を駆け巡らない日は一日たりとてありません。

あと、整理整頓や片付け、掃除などのことも。

尚、この企画展は2月27日(日曜日)までです。

テーマ:建築デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

石川光陽写真展―旧新橋停車場―

昨年(2010年)の12月7日(水曜日)から新橋にある新橋停車場 鉄道歴史展示室において、石川光写真展が開催されています。私は先日の土曜日、行ってきました。

石川光陽3


石川光陽2 



尚、この企画展は昨年暮れの神崎旅行中に乗った209の車内ポスターで知りました。

石川光陽1

石川光については以前、2008年3月にTBS「シリーズ激動の昭和3月10日~東京大空襲」で見たことがあり、その名を知っていたことから見に行こうと思いました。

は、1904年明治37年)に福井県で生まれ、写真館でカメラマンとしての修行を積み、警視庁に入庁しました。

戦時中には、警視総監の特命により1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の惨状をカメラに収めました。これが、先に述べたTBSの特番で放送されたところであります。

今回は3部展示で、第1章「交通と乗り物」第2章「都市と下町」第3章「警察官として」というかたちで、昭和初期~20年代後半の写真や資料が展示されています。

1章の「交通と乗り物」では、駅やバス等の写真がありました。バスはまだボンネット型が主流で、東京乗合自動車のバス写真があり「青バス」と呼ばれていたそうです。鉄道では上野駅や品川駅、帰省の風景に現在の東急池上線に当たる目黒蒲田電鉄の五反田駅と池上駅の写真もありました。

上野駅の時刻表は、まるで相撲の取り組み表のオバケのような時刻表があり、天井も高く、西洋のターミナル駅のような威容でした。

当時の駅員や、後で述べる警察官の制服は現在のようにスーツではなく詰襟で、真面目な話パッと見た感じが男子学生のように見えます。

2章「都市と下町」では、こちらも古き良き昭和の風景写真がありました。雪の浅草六区に銀座のモボ、モガに高円寺の商店街、女子学生の写真に縁側の子供の写真など、雅な写真が数多くありました。

3章「警察官として」では、警察官の写真が中心でした。特に印象的だったのが、「会田巡査と子どもたち」に、交通整理をする警察官、それから戦後の警察音楽隊です。

会田巡査の写真は、彼が子どもの登下校の安全を見守る姿を映した写真です。うちの近くでも、朝の和釜十字路駐在(千葉県船橋東警察署和釜駐在所)の警察官が、くだんの会田巡査のように子どもの登校の安全を見守る姿を、交通安全運動期間以外でもしばしば見かけます。

先にも話したとおり当時の警察官の制服も詰襟で、交通整理をする警察官は肩に飾りがついていてあたかも軍人のように見えました。

当時の警察官も現在のように、詰襟を着させられている学生のように襟にバッジをつけていましたが、当時もやはり肌触りが気持ち悪いカラーをつけていたのだろうか、そうでなければバッジのねじで苦しんでいたのだろうかと思うと、それだけで息苦しい気分になります。


新橋停車場へのアクセス

JR線、東京メトロ銀座線都営地下鉄浅草線新交通ゆりかもめ「新橋」駅、都営地下鉄大江戸線「汐留」駅下車。

パナソニック電工ビルの隣にあります。

石川光陽4

JRや銀座線からは少し遠く、浅草線の新橋駅から行くのが分かりやすい印象があります。

開館時間:11:00~18:00(入場は閉館15分前まで)

休館:月曜日 ※1月10日(月)は開館、1月11日(火)は休館、12月27日(月)~1月3日(月)は休館


テラスハウスの企画展―八千代市立郷土博物館―
この情報は、チバテレの朝まる!JUSTの「きょういく?いいんかい」のコーナーで知りました。

ということで当ブログはだんだん千葉ブログらしくなっていっています。

これは八千代市立郷土博物館の企画展で、平成23年1月22日(土曜日)から2月27日(日曜日)まで、

「昭和のモダン住宅 八千代のテラスハウス~テラスハウスと共に歩んだ家族の記録~」

という名前で、平成22年度第2回企画展として開催しています。

日本のテラスハウスは、英吉利の庭付き低層集合住宅をモデルにした都市型住宅のことを指します。昭和30~40年代にこの手の住宅がもてはやされていたそうです。

テラスハウスといえば、私の知るところでは八千代市だけでなく浦安市にもあります。今川団地と見明川団地で、たまにJR京葉線新浦安から先(東京方面)に乗ると、この2地区にテラスハウスが広がっているのがよくわかります。

今川のほうは富岡交番(千葉県浦安警察署富岡交番)交差点の一角にあり、見明川団地は舞浜駅寄りで、JR京葉線がカーブを描く辺りにあります。

尚、八千代市立郷土博物館のアクセスは以下の通りです。

電車とバスで行く場合、東葉高速鉄道の場合は八千代中央駅から、東洋バス、米本団地ゆきに乗車し「郷土博物館前」で下車します。こちらは本数が少ないので注意!

京成電車の場合は勝田台駅(南口)から東洋バス、米本団地ゆきに乗車し「市営住宅前」で下車します。こちらはまともな本数があります。


テーマ:千葉県 - ジャンル:地域情報

鎌ヶ谷・昭和の日々
本日4月29日は「昭和の日」ということで、昭和のお話をします。

現在、鎌ヶ谷市郷土資料館では「鎌ヶ谷・昭和の日々」と題した企画展を開催中です。

この展示では昭和の時代に、新しい快速電車の勢いで変貌した鎌ヶ谷の姿を写真や歴史資料で展示するというものです。3月20日(土)~5月5日(水・祝)まで開催されます。

尚、会場は郷土資料館(図書館の脇)ではなく、小公女セイラの舞台になった三橋記念館です。間違えないように注意を!

三橋記念館 

私は鎌ヶ谷生まれで、当然の如く鎌ヶ谷の姿をよく見ています。昭和生まれとはいっても末期生まれで、私の知らない昭和の鎌ヶ谷のほうが間違いなく多いはずなので、行くのが楽しみです。

で、そんな私のこれぞ昭和の鎌ヶ谷をいくつか。

新京成電鉄に釣り掛けの電車があった

8000系や800系が主体で、数は少なかったものの、私も釣り掛けでかつ赤とクリーム色の電車を見たことがあります。さらに、8800系が新型だった時代でもありました。

東武野田線の色がクリーム色だった

現在のように白に青帯になる前は、クリーム色(正式には「セイジクリーム」色)でした。さらに5070だけでなく3000も現役バリバリの時代でした。

さらに大昔は、ベージュとバーミリオンだったそうです。

③初富駅には自動改札がなかった

新京成電鉄のほうは一部の駅に自動改札がありましたが、初富駅にはありませんでした。古式ゆかしい有人改札でした。現在でも基本的なつくりは変わりませんが、出口の「WAYOUT」という文字が印象的でした。

しかしもっと印象的だったのは、松戸、京成津田沼両方向とも朝夕はかなりの本数があるのに、日中は1時間に2~3本しかなかったことです。

鎌ヶ谷駅には東口がなく、かつ単線だった

平成になってからもしばらくこの状況でしたが、昔の鎌ヶ谷駅は地上にあり、単線で、かつ東口もなければ自動改札もありませんでした

参考:http://newrapid130.blog98.fc2.com/blog-entry-1343.html

この駅で乗車券を購入すると「入鋏省略」の文字が入っていることが多く、交換待ちをする駅なので列車はほぼ終日に亘り上下同時にやってきます。その時に駅員さんが出てきて改札業務を行います。

その頃の東武鉄道の制服はまだダークグレーでもなければオレンジでもなく一般的な紺色でした。帽子がなんだか警察官のような帽子だという印象がありました。

柏方面に向けて乗車すると、隣は新鎌ヶ谷駅ではなく六実駅という時代でした。六実駅は今も変わらず、ホームが多いことを除けば昔の鎌ヶ谷駅の面影を感じます。

結局鉄ちゃん的な話ばかりになりましたが、さいごに基本情報を。

基本情報:

会場:三橋記念館

最寄り駅:新京成電鉄初富駅 徒歩1分

開館:午前9時~午後5時

休館:5月3日を除く月曜日、3月31日

初富駅の改札を出たら、道路を横切り踏切の右斜め前のイトーヨーカドー ザ・プライス(鎌ヶ谷店)に向かって歩きます。隣には三菱東京UFJ銀行(船橋支店鎌ヶ谷特別出張所)もあります。三橋記念館は、三菱東京UFJと向かい合うような形で建っています。

または、道路を横切らず踏切を渡り、/(鎌ヶ谷初富駅前店)の横を通り、初富交差点の横断歩道(向かって左へ)を渡る、という行き方もあります。

テーマ:千葉県鎌ヶ谷市 - ジャンル:地域情報

近江商人博物館と、その思い出写真

もうかなり(2007年12月)経ちますが、近江鉄道に乗車して滋賀県の五箇荘へ行った際の写真をupします。

思い出写真、とはいっても博物館内の写真ではなく、博物館外周の話です。

1.近江商人博物館

 

五箇荘1 

この博物館は「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」を是とする近江商人のこころを紹介する博物館です。

ここで私は特に、日頃の生活を質素にすることの大切さを学びました。

展示内容にけっこうボリュームのある博物館で、見学は1時間くらい取るのがちょうど良いかと思います。

2.バザー!? 

五箇荘3 

この日はちょうど、博物館の玄関前でバザーらしきテントが出店し、もちつきなどをやっていました。隣組上がりの年だったので、どうにも隣組のきつかった思い出がよみがえって仕方ありませんでした。

3.きつねうどん

五箇荘2 

私もここで、ちょうど昼が近いということできつねうどんをいただきました。きつねうどんというのが関西らしく、さらに学校給食のようなトレイがなんかいいな~、と思いました。

寒かったので、温かいうどんはとても美味しかったです。

これを食べた後、五箇荘駅に戻り、近江鉄道で米原駅へ向かいました。

4.旅のお供に

五箇荘4 

帰りは憧れの500系のぞみに乗車しました。上はホットコーヒーとカップケーキですが、カップケーキは博物館の入口内で売っていたものです。

これらをつまみながら私は、帰路に就きました。

近江商人博物館の基本情報:

 

交通:

①近江鉄道本線五箇荘駅から、徒歩20~25分

JR琵琶湖線能登川駅(新しい快速電車の停車駅)から、近江鉄道バス八日市駅行きで10分「生き活き館前」下車、徒歩10分

アクセスとしては、②のほうがメジャーのようですが、休日については①も、駅からかなり歩きますが捨て難いアクセスです。近江鉄道全線に乗車できるS・Sフリーきっぷを利用すれば、¥550で近江鉄道を往来できます。

私はその時①を選択しました。長距離乗車券を持っていたので、米原駅から新しい快速電車に乗車して②のルートで途中下車をして近江鉄道バスでも良かったのですが、S・Sフリーきっぷを利用できる休日であり、近江鉄道バスより安く行けるため、①を選択しました。

開館時間: 9:30~16:30

休館日: 月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、年末年始(12月29日~1月4日)

入館料:大人¥200 小児(中学生以下)¥100


テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行

川口百景

川口市立アートギャラリー・アトリアでは昨年の12月9日から、今月11日(月・祝)まで、川口百景と題した、写真公募展を開催しています。

アトリア1 

この公募展は、昨年度(平成20年度)も行われ、今回の展示終了後に写真集「川口百景」として刊行されるとのことです。

百景、といっても前回と今回とで各100作品ではなく、前回50作品、今回50作品の計100作品、それで「川口百景」です。

作品内容(今回)としては、雲に浮かぶ高層マンションや紅葉鮮やかな並木道など街の風景、地域の行事や高校書道部の揮毫(きごう)の風景などが印象に残りました。

それから昔の川口の風景を液晶テレビで観覧することができます。

おまけ:私の作品

ブルーライトクリスマス 

「聖夜を彩る蒼の光」・・・でもかなりぶれてますね、お粗末さまでした。

今回の展示が終わったら次は、「アートな年賀状展 2010」が開催されます。期間は1月13日(水)~1月24日(日)です。

川口市立アートギャラリー・アトリアの基本情報:

交通:JR京浜東北線川口駅から、歩いて8分

東口(そごうのある側)を出て左に、大通りを直進して4つ目の信号を左に曲がるとあります。

途中左手には中川医院があります。そこを過ぎると3つ目の信号があり、「川口陸橋下」交差点に出ます。

4つ目の信号を左に曲がり、少し進むと平屋建ての細長い建物が見えます。それがアトリアで、並木元町公園の一角にあります。向かい側にはARIO(イトーヨーカドー)があります。

駅からそれほど遠くないのですが、少々わかりづらいかも知れません。もし分からなければ駅か交番(埼玉県川口警察署川口駅前交番)に問い合わせることをお勧めします。

開館時間:10時~18時(入館は17時30分まで)

観覧料:ほとんどの企画展において無料ですが、一部有料となるものもありますので、その都度ホームページやポスター等で確認が必要です。尚、上記の企画展についてはどちらも無料です。

休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合、その直後の平日)、年末年始(12月29日~1月3日)


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人生儀礼の世界 at 松戸市立博物館

いま松戸市立博物館では、「人生儀礼の世界」と題した特別展示を公開中で、今月29日(日曜日)まで公開されます。

松戸市立博物館

http://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse/exhibition.html

私も昨日行きましたが、正に民俗学や隣組の世界で、大学の講義で学んだ民俗学や文化人類学、それから隣組でのことを思い出さずにはいられませんでした。

この展示は、人の一生において迎える儀礼の数々を大きく誕生、結婚、葬儀の3つに分けた展示となっています。誕生から結婚にかけてはジェンダー的な要素が、葬儀には隣組の要素が色濃く出ている、という印象を受けました。

私はこの特別展示を、北総鉄道の東松戸駅にあるポスターで知りました。

博物館へは、新京成電鉄八柱駅JR武蔵野線新八柱駅から松戸新京成バス、小金原団地循環バスか北小金駅行きに乗車し、「公園中央口」で降りてすぐのところにあります。

また、いま北小金駅行きバスと書いた通り、JR常磐線各駅停車の北小金駅からも八柱駅ゆきのバスに乗車して「公園中央口」で下車すれば博物館に行くことができます。

但し、北小金駅からのバスは本数が若干少ないので注意が必要です。そしてどちらもダイヤが平日、土曜日日曜・祝日の3本立てになっていることにも注意が必要です。

そしてこの博物館は、21世紀の森公園の一角にあり、道路を挟んで反対側には℃-ute等がしばしばコンサートを行っている森のホール21があります。


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やちよ・絵手紙の森美術館へ行ってきました。

昨日、スーパーカブ購入1周年記念として八千代市の東部を走り、村上にあるやちよ・絵手紙の森美術館へ行ってきました。

えてがみ1 

この美術館も、私のスーパーカブと同様新しい美術館で、外観も管内もピカピカでした。

入口に入るとスリッパがあり、なんだか歯科医院のように落ち着いた雰囲気があり、室内には所狭しと優しい言葉と美しい絵の作品が並んでいました。

受付では絵葉書やカップ、手ぬぐいに八千代市の名産品などの販売を行っています。

この美術館は、絵手紙エッセイストの瀧下むつ子さん、書家の瀧下白峰(はくほう)さんご夫妻により開館されました。

白峰さんがメッセージを書き、むつ子さんが野菜や花、風景の絵を添えるというスタイルで作品をつくっているそうです。

昨日は、夏を題材とした作品が並んでいました。そのなかには、むつ子さんのふるさとである宮崎県で過ごした時代を描いた作品もありました。

入口には、宮崎県の観光パンフレットもありました。

下は、宮崎日日新聞の記事です。

http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=13773&catid=74

下は、八千代市の地域情報の記事です。

http://yachiyo-chiba.mypl.net/magazine/?cmd=025-01

作品集が置かれたテーブルには、観光地の駅のようなノートがあり、コメントが記されていました。

このノートにコメントを記した人の多くは八千代市民や近隣の人ですが、なかには茨城県や東京都、神奈川県から来た人もあり、そんなところにも人気の高さを感じました。

ここで基本情報を・・・

入館料:¥500(大人)

開館時間:10時~16時(季節により変わることがある)

休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)

交通:東葉高速鉄道 村上駅から徒歩約15分・・・村上橋のたもと、というほど近くではありませんが、附近にあります。

この写真は美術館前の交差点から、村上橋(交差点を直進)方面を望んだ写真です。高架線は東葉高速鉄道で、左側が村上駅方向です。橋と東葉高速の下には、新川が流れています。左側のライトは、八千代市の運動公園です。右側には、この写真では映っていませんが、八千代市営球場があります。

えてがみ2 

歩くのが厳しい、あるいは迷いそうだ、という方は八千代中央駅から東洋バスがあります。米本団地行きのバスに乗車し「村上橋」バス停で下車します。

 ここへ行くには、郷土博物館と違って、米本団地行きであればどこ経由のバスでも構いません。尚、郷土博物館へ行く場合は、八千代松陰高校経由では行くことができません。


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成田山と京成―京成電鉄100年のあゆみ―

こちらも埼玉県平和資料館の鉄道輸送の企画展同様、3月1日が最終日となっていますが、一昨日は成田山霊光館で開催されている「成田山と京成」の企画展にも行きました。
成田山と京成1 

成田山と京成2

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090202-OYT1T00024.htm

今年の6月で創立100周年を迎える京成電鉄は、1909年(明治42年)に京成電気軌道株式会社という名前で創立し、徐々に路線を延ばし、1930年(昭和5年)に成田まで開通し、正に社名の如く東田を結ぶ鉄道となりました。

今では成田山への足としてはもちろん、何と言っても成田空港へのアクセス、空に続く途としての役割が有名な京成電鉄ですが、その昔は成田山への輸送に際し非常に太っ腹なサービスが多々あったようです。

戦前の話ですが、例えば初詣、節分会に本尊御開帳などの際には割引運賃の設定や、片道無料など今では考えられないありがたいサービスが大々的に実施されていました。

成田山関連では、特急列車「護摩電」「開運に、初詣記念乗車券などの展示がありました。

成田山とのかかわりだけでなく、私も学生の頃に世話になり、今でもしばしば世話になっている都営地下鉄浅草線との相互直通運転や、もちろんスカイライナーの話題もあります。

私に縁が深いのは、通学に利用した浅草線と、経由した押上線なのですが、京成電車と浅草線の相互直通運転が開始されたのは1960年(昭和35年)12月の話です。

しかしその前に、相互直通運転に際し、後に相互直通運転をする京浜急行電鉄は1435㎜、京成電鉄は1372㎜(いわゆる馬車軌間)であったため軌間の問題が発生し、両者と東京都の3者協議の末京成電鉄が改軌作業を行うことになりました。

で、その改軌作業が行われたのはいまから半世紀前、1959年(昭和34年)の10月~12月、この短期間で見事にクリアしました。

そういった意味でも今年は、京成電鉄にとっての節目の年だ、年表を見て思いました。

そして来年は、成田新高速鉄道の開業に新しいスカイライナーの運転開始、そして浅草線との相互直通運転50周年記念と、京成電鉄、それから北総鉄道(成田空港関係)の歴史に燦然(さんぜん)と輝く年になると思います。

場所は、成田山の本殿の裏を登り、約3分のところにあります。入館料が必要で、大人1人¥300で、中学生と高校生は¥150です。小学生以下は無料です。

交通は京成、JRの成田駅から歩いて25分と案内にありました。私はいつも成田山に行く際は所要時間を気にせず行きますが、いざこれをこのように数字で見ると距離を感じます

京成電鉄の企画展だったので、京成電鉄を利用できればよかったのですが、一昨日は船橋にも佐倉にも行く用事がなかったので成田線に乗って行きました。


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戦後の埼玉の鉄道と駅弁

今日は、昨日の続きで埼玉県平和資料館のテーマ展「戦中戦後の鉄道輸送」について、昨日話しきれなかったことをお話しします。

鉄道輸送1

戦争が終わると鉄道輸送は、復員、引揚者、進駐軍に食料の買出し輸送と、戦前以上の輸送需要が発生しました。

食料の買出しについては、特に埼玉県は農業県として重要な役割を持っているだけでなく大消費地である東京から近いため、新しい快速電車の勢いで人が押し寄せてきました。

昨年度は埼玉県の食卓のテーマ展を見学しましたが、その展示でも埼玉県は東京に近い農業県として食糧難の戦時中は非常に重要な役割を果たしていたそうです。

その混雑ぶりは並大抵のものではなく、窓から無理矢理乗り込もうとしたり、窓の柱にぶら下がったり、果ては屋根の上にまで乗る凄まじい有様の写真がありました。

そして、終戦後しばらく経つと、戦時下でいうところの「不要不急の旅行」つまり行楽にも目が向くようにもなってきたのですが、それでも児童の疎開の如く無蓋客車にギュウギュウ詰めに押し込まれる状態の写真がありました。

終戦後の混乱のなかで、八高線では二度の大きな事故が発生しました。ひとつは戦争が終わって本当に間もない昭和20年8月24日の小宮~拝島間での正面衝突事故、昭和22年2月25日(今日!)、高麗川(こまがわ)~東飯能間での脱線事故が発生しました。

正面衝突事故では100名以上、脱線事故は戦後最大といわれ、180名以上の死者が出てしまいました。

今日は脱線事故の日であり、正面衝突事故も併せてただただ合掌するばかりです。

企画展示室の外の通路には、「當辯御」つまり駅弁の包装紙の展示がありました。これだけパッと見ると鉄ちゃんのコレクションのようですが、やはりここは戦争と平和をテーマとした資料館なのでそれらしい内容のものばかりです。

例えば、御辯當の包み紙の謳い文句や絵柄には日の丸や戦闘機、軍人の図柄があったり、「久長運武」「欲しがりません勝つまでは」などの戦時中らしいものがビシッとかかれていました。

それからもう一つ興味深いところとしては、座席の下に空き箱や屑が置かれている挿絵があり、謳い文句を見ると

「辯當殻、果皮、紙屑、等は腰掛の下へ」

とあります。

屑物は座席の下へ置く、これが当時の車内マナーの一つであったと思われます。いまこんなことをやったら白い目で見られるものですが、時代が変わればマナーも変わるもんだと思いました。

マナーといえば、これは今も昔も変わらない謳い文句がありました。

「うせましたい力協に米節に互お 行励列一」

節米は戦時中ならではのことですが、一列励行、はこれは現代にも通じます。いるんすよね、たまに割り込んでくるのが・・・。

続いて

出札口 精算払(つりせんいらぬよう)

改札口 切符は銘々

通路  立止り厳禁

汽車電車乗降 降りるが先

精算、切符、通路や乗り降りなど、これらは今も昔も変わらない、乗客が守るべき道徳であります。もちろん私も心がけていますが、武蔵野線や舞浜駅(会社の懇親会帰り)を利用する際には特にその思いを新たにします

そしてさらに、これらの言い回しを肝に銘じ、利用者として恥ずかしくない乗車マナーをより一層心がけようと思いをまた新たにしました。

こんどは食料難で當辯御の中身にも影響が出るという記事があり、當弁藷(しょべんとう)、つまりサツマイモ弁当も登場し、3人の女性職員が美味しそうに食べていた記事があったり、野菜と海藻を原料とした鉄道パンなどというものも出たそうです。

埼玉県平和資料館へは、東武 東 上 線の高坂駅(急行以下の列車が停車、快速急行は通過)からKKJこと川越観光バスの鳩山ニュータウン行きまたはにっさい花みずき行きに乗車、大東文化大学バス停で降りて、歩いて4~5分です。
鉄道輸送3

本数の非常に多い優良路線で日中でも1時間あたり6本(休日は4~5本)あります。

鳩山ニュータウン方面のバス停はファミリーマートや松屋のある側にあります。その向かい側の東京電機大学行きでは、大東文化大学には行きません。

バス停を降りると当たり一面緑に山で、法政大学の多摩キャンパスといい勝負の豊かな自然で、その道のりは正に東武健民です。

埼玉県平和資料館は入館料が必要で、大人1名¥100、大学生と高校生が¥50です。但し中学生以下、65歳以上の方や障がい者等は無料です。


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戦中戦後の鉄道輸送―埼玉県平和資料館のテーマ展―

先週の木曜日に、東武 東 上 線川越観光バスをエッチラオッチラ乗り継ぎ、大東文化大学の応援団というBGMを背にして、これまたエッチラオッチラと坂を登り、埼玉県平和資料館のテーマ展を見学しに行きました。

鉄道輸送1 

鉄道輸送2 

鉄道輸送3

このテーマ展では、昭和初期(戦前)から終戦を迎え復興に至るまでの間の、鉄道輸送の歴史を取り上げています。

鉄道黄金期では、少年雑誌

「車列急特超の來未る走を里五十七間時一」

これは、一時間七十五里を走る未來(=未来)の超特急列車のことで、西暦2000年には一万馬力の蒸気機関車が時速300㎞で走るという、ハチャメチャな未来予想図が描かれていました。

で、2009年現在、蒸気機関車ではないにしても500系N700系新幹線が時速300㎞で走っているので、そういう意味ではこの未来予想図は大当たりです。

戦争が始まると、鉄道にもその戦時色の色彩が強くなっていきます。

先ず印象に残ったのは

「乗り降りも まづ戦傷の勇士から」

という掲示物で、戦地から負傷して帰ってきた兵士をいたわろうという運動が盛んになってきたことを意味します。この掲示物には出入り口を譲る少女と傷痍軍人徽章(しょういぐんじんきしょう)が描かれています。

それから軍人、傷病兵や戦死傷兵の遺族や家族、救護員や愛国婦人会などに対する割引や無賃扱いなども行われていました。

尚、戦争を主題とした資料館や記念館等はいろいろありますが、戦争による傷病を主題とした記念館もあります。それは九段下にある「しょうけい館」です。

戦争中は、英語や米英の文化や運動競技などを排除する動きがあったため、タイトル(これもいけませんね)もとい題名などについても横文字の使用が禁止されました。例えば東武鉄道の「東武ハイキング」という冊子は

「(題改グンキイハ武東)民健武東」

つまり「東武健民」というかなり無理矢理な題名となりました。

このようにして、観光や健民といったような冊子が出回るならまだしも、戦局が悪化してくると旅行の制限、例えば100㎞を超える旅行には証明書(理由書のようなもの)が必要となったり、長距離列車の運転がなくなるなど、当時の鉄道がいかに軍事輸送重視とされてきたかが感じ取れます。

写真を見ると、戦後の買出し列車もそうですが、乗客が無蓋客車に乗せられるなど、朝の武蔵野線西船橋~市川塩浜間の比ではない程の新しい快速電車の勢いで混雑を極めていました。

その頃の掲示物は、昨年度の「戦時埼玉の食卓」展にあったカボチャ等のように戦時中らしい非常に過激な言い回しであり、特に「自分さへ旅行できればよい」というのが非常に印象的でした。

『自分さへ旅行できればよい』

この根性の行列が続く限り

決戦輸送は※空転する

君たちが空費した時と金と精力を増産に

君たちが乗った列車に軍需品を

頭も、ダイヤも切替へて さあ出發だ

※転・・・「くるまへん」に、「専」の右上に点がつく(「転」の旧漢字)

この時代でいうところの「不要不急の旅行」を勧める掲示物が乱立する現在とは全く逆で、戦争中は遊びのための旅行は厳に慎めということがお上から新しい快速電車の勢いで叫ばれていたのです。

昨年度のカボチャの話の記事(当ブログ)

http://newrapid130.blog98.fc2.com/blog-entry-467.html

たしかにこの掲示物の言い回しは過激ではありますが、「自分さへ旅行できればよい」というのは、武蔵野線で舞浜へ行く(から帰る)人たちの多くの態度のようにも感じ、それを考えると自然と頭が上下に動きました。

さらに、戦争というのは男手が少なくなることでもあり、鉄道にも女性の運転士や車掌が登場するようになりました。

印象的だった記事は、女学校の学生が奉仕作業で懸命に市電の車体を磨き上げる写真の載った記事です。

「のものちた私は車電」

という記事で、なかには顔を向き合わせている車輌の窓に足を乗せて電車の額を磨く気合の入った学生もいてビックリしました。

ほかにも印象的なものがありましたが、終戦前の鉄道の話はここで終わりにします。

尚、この企画展は3月1日(日曜日)までですので、お早めに・・・。


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小山市文書館―再び小山へ、遥かなる旅―

先日、小山市立博物館の企画展「女性のくらしと民具」を観に行き、そこで一つ新しい企画展があることを発見しました。

もう少し小山市の企画展をじっくり調べていれば一度で済んだのですが、その企画展の存在をその場で初めて知ったため、再び小山へ行くことを決意しました。

その企画展は同館ではなく、小山市文書(もんじょ)館で開催されているもので、その名もズバリ

「さまざまな時刻表」

で、鉄の私の目にビシッと止まりました。下は参考記事です。

http://mainichi.jp/area/tochigi/navi/news/20090121ddlk09040105000c.html

小山市文書館もいちおうホームページがありますが、そこにはその企画展に関する記載がありませんでした。詳細は上の新聞記事の通りですが、3月26日(木曜日)までです。

文書館のホームページには「過去に学び、現在を知り、未来を創造する」とあります。これは、歴史が苦手だった私がいうのは気が引けますが歴史を学ぶことの基本的な考えを意味しています。

そしてこれを私流にいえば古きに学び、現在を知り、新しきを創造する」です。

というわけで再び小山へ、こんどは古い時刻表を学びに行きます!

小山市文書館へは、JR宇都宮線両毛線水戸線東北新幹線の小山駅の西口から歩いて15分程度の場所だそうです。

ホリデーパスの利用区間ギリギリの場所であるので、遠い場所から行くならこれがオススメです。

コミュニティバスの便もあり、それを利用する場合は、間々田循環の西ルート生井路線を利用して、「水道庁舎前」で下車します。

ただ、コミュニティバスの本数はあまり多くなく、歩くにしても無理のないような距離なので、余程の方向オンチでもなければ地図をよく見て歩いたほうが早いような気がします。

その前に先日、駅の西口を下見したのですが、コミュニティバスの乗り場が全くわかりませんでした・・・。


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小山市立博物館

小山市立博物館の存在はかねてから知っていましたが今回、八千代の市立博物館で知った企画展をきっかけに、行こうと思い立ちました。

ではその小山市立博物館はどこにあるか・・・をここでご紹介します。

最寄り駅はJR宇都宮線(東北本線)の間々田駅で、歩いて10分くらいの場所にあります。この駅は、普 通電車しか停車しませんので、大宮方面などから快 速電車をご利用の方は古河など普 通電車と接続する駅で乗り換えます。

間々田駅の改札を出たら、左側に出ます。

階段を下りると右手に自転車置き場と交番(栃木県小山警察署間々田駅前交番)がありますのでそこから延びる道をまっすぐに行き、1ケタ国道としては珍しく狭いR4を横断します。その交差点の右側には和菓子店があります。

もう少し歩くと左手に、整体院があります。その先に交差点があり、正面に博物館への小さな案内看板があり、それに従って進みます。

すると右手に、竪穴式住居のような建物のある公園と、大きな白い建物があり、その白い建物が博物館です。

入館料は無料で、休館日は月曜日です。

展示コーナーは2階で、常設展は古代の小山と農家のくらしに関する展示があります。


いつかどこかで見たくらし

先日火曜日、バイクでR16の脇道にある八千代市立郷土博物館に行ってきました。

八千代市郷土博物館

ちょうどいま、今年度の第2回企画展「いつかどこかで見たくらし 農家編」を開催中で、生活に興味を持つ私にピッタリな内容だったので八千代市のHPでこれを知った瞬間よし行くべと思い立ちました。

大まかな内容としては、昭和初期の暮らしと昭和30~40年台の暮らしの比較が、目に見てわかりやすいような構成となっていました。

昭和初期の暮らしはずばり「土間・竃のあるくらし」で、昔は煮炊きをでやっていました。

は二口型で、大きいほうが米を炊くほうで、小さいほうが煮物や汁物をつくるほう、というつくりです。

そして、のそばには火の神の神である荒神様を祀っていたそうです。

これはまえに古い民家を見た時に知りましたが、うちでもこれをやらないとまずいなと思いました。

荒神様のお札は、こないだ行った大鷲神社にあるので、また行った際に授かることにします。

土間と竃、私流に言えばドマガマですが、かまどという字がではなくだったのがの字マニアの私としてはたいへん残念でした。

そして時は過ぎこんどは昭和30~40年代。洗濯機、冷蔵庫の白物家電や、テレビなどのいわゆる三種の神器が普及して新しい快速電車の勢いで便利になったという説明がなされています。

そしてその他の家電も普及し、はガスや電気の炊飯器に取って代わられました。

当時よく使われていた家電類が展示され、特に印象的だったのは松下電器産業(当時の名称)謹製の電子レンヂ、それから足踏みミシン。電子レンヂは形からしておそらくエレックだと思われます。

昔は父方の実家にこれがありました。さすがにいまは新しいものを使っていますが、母方の実家では日立製作所謹製のウン十年もののレンヂが今でも現役です。

それから足踏みミシンは、父方の実家にありました。祖母が嫁入りする際に持たされたものだとのことで、昭和の雰囲気を感じます。それから嫁入り道具といえば桐タンスというのもあったそうです。

町の風景は、昭和30年~40年台でいうと30年代が八千代台団地が造られ、これが日本で初めての、もっといえば日本で最も古い大規模住宅団地となりました。

そしてこれを皮切りに、各地に新しい快速電車の勢いで住宅団地が造成されるようになりました。

R16の写真もありましたが、昭和40年代の当時はまだ片側1車線ずつしかなく、今では考えられないくらいのどかな光景でした。駅前にしても、まだまともな舗装もなく、京成電車の駅など自動券売機すらなかった、今の大佐倉駅よりもみすぼらしい状況でした。

服装についての解説もあり、今は古くなった衣服は簡単に捨てて新しいものを買う傾向にあるが、昭和初期は傷んだらつぎはぎなどをして大事に大事に使ってきたとのことです。

ということで、昔の人はエコだったのです。

それから女学生のファッションというのもあり、たしかセーラー服にモンベだったと記憶しています。モンペには戦前らしさを感じ、セーラー服というのは今ではかなり少ないのでは・・・うちから近くの中学校もともブレザーだし、セーラー服といえばうちの近くでは高校でいえば鎌西(註:千葉県立鎌ヶ谷西高校)や和洋国府台くらいしか思いつきません。

以上ざっと話しましたが、会期はもうすこしあり、来年の3月1日まで開催されます。むかしの生活に興味がおありの方は、ぜひとも八千代の博物館へ!

交通は、電車とバスで行く場合、東葉高速鉄道の場合は八千代中央駅から、東洋バス、米本団地ゆきに乗車し「郷土博物館前」で下車します。こちらは本数が少ないので注意!

京成電車の場合は勝田台駅から東洋バス、米本団地ゆきに乗車し「市営住宅前」で下車します。こちらはまともな本数があります。


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かぼちゃ・かぼちゃ・かぼちゃ

日曜日に行った、埼玉県平和資料館の企画展の話の2回目です。

戦争の局面が悪化すると、食料不足も深刻になり、主食が米からかぼちゃやさつまいもなどに代わってきました。これらに関する資料として、かぼちゃは作り方の小冊子、さつまいもについても同様の小冊子があり、高等女学校(いまの女子高校)の生徒が奉仕作業としてさつまいも掘りをする写真がありました。

そのパンフレットを見ると、とんでもなく気合の入ったコピーが視界に飛び込んできます。

「南瓜、南瓜、南瓜、南瓜、南瓜、南瓜、南瓜

何が何でも

カボチャを

作れ!

つまりこれは、新しい快速電車の勢いでカボチャを生産せよ、というお上からの強いお達しということを意味しています。この時代は、どんなに狭い土地でも作物を作れ、という時代だったそうです。

しかしここまで新しい快速電車の勢いで「南瓜」という単語の連呼するとなると、「たらこ・たらこ・たらこ」もビックリです。

そしてそれをメモする私は、「南瓜」と6回も書いているうちになんだか漢字の書き取りをやっているような気分になりました。

さらにこれは、好きな人への切実な思いを抑え切れず、その人の名を文字に表す、というような雰囲気にも感じます。

そんなかぼちゃですが、私はかぼちゃをしばしば食べています。

ほうとうが好きなこともありますが、かぼちゃを食べると腸の調子が良くなるからです。もし腸の調子がいま一つなら、胃薬よりもかぼちゃです。

そして、もうすぐ冬至。かぼちゃは夏が旬なのでいまは日本産ではなく、トンガやメキシコあたりのかぼちゃということになりますが、冬至にはかぼちゃを食べましょう。

日本産なら、北海道のヱビスかぼちゃや雪化粧などが最高です。


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